矢島祥子医師不審死事件

概要

2009年11月16日1時20分、木津川の千本松渡船場矢島祥子医師(当時34歳)の遺体が釣り人により発見される。西成警察署は当初自殺による溺死と断定していた。生体反応がある時にしかできないアザや頭のコブに疑問を持った遺族は自殺ではなく他殺であるとし警察に真相を求めていく。

矢島祥子医師略歴

  • 1975年3月30日 群馬県高崎市にて誕生。
  • 1990年4月 群馬県立高崎女子高校入学。
  • 1993年4月 群馬大学医学部入学。
  • 1994年1月1日 日本キリスト教団高崎南教会で受洗。
  • 1999年4月 沖縄県立中部病院勤務勤務。
  • 2001年4月 大阪淀川キリスト教病院内科勤務。
  • 2007年4月 くろかわ診療所勤務。

事件前出来事

  • 2005年12月
くろかわ診療所開所

  • 2006年11月

  • 2008年3月23日
NPO法人OIKOS設立記念パーティー

  • 2008年5月5日~6日

研修会 自己紹介

渡邉 充春(歯科保健研究会):
歯科保健研究会の渡邉と申します。お手元のほうに追加資料をお配りしましてので、そこに歯科保健研究会の概略については書いております。野宿者支援の団体だけではなくて、障害者や高齢者の問題などについても歯科の諸課題について取り組んでいる団体です。野宿者支援については有名な黒田先生たちのホームレスの医療ニーズと医療システムについての研究の第 2 年目に社会医療センターでの口腔保健で参加させて以降、ホームレスの方々の口内問題について、お口の中から健康を回復して野宿からの脱却の1つの契機を作っていただく。そして就労の際の前歯が無いということに関して、入れ歯を作ることによって面接をクリアしていただきたいということに一歩でも近づくということで歯科の健康支援という形で続けてきました。ご覧のように昨年の活動内容を一覧として挙げています。京都から徳島までお邪魔させていただいて、年間 150 名近くの方の相談を受けています。現在は行政的にも厳しいので治療をやりながらの相談になっております。この連休明けに正式に新宿連絡会の医療班のほうから皆さんへアンケートが届きます。歯科医療に関しては非常に課題が付いているということで、壁を打ち破りたいということで全国の支援団体の方がどのような形で歯科医療の援助をされているのか、ぶつかっているのかをお聞きしたいということで、アンケートを郵送しますのでご協力お願いいたします。厚労省は医療単給を出さないと言いましたけど、このアンケートを基礎に打ち破っていきたいと思っているのでよろしくお願いします。

矢島 祥子(黒川診療所):
黒川診療所の矢島と申します。大阪で医療活動を積極的に活動している黒川先生のところで仕事させていただいています。今日はよろしくお願いいたします。

笠間(釜ヶ崎講座):
こんにちは。お手元にA3 のビラを配らせてもらいました。この中で釜ヶ崎講座の趣旨が紹介されています。「私たちはあなたと釜ヶ崎を結びます」ということで、今の釜ヶ崎のホームレスを中心とした野宿からの脱却への諸活動、釜ヶ崎全体のまちづくりということで関西一円の人を釜ヶ崎と結び付けていくという活動を主眼にして活動しています。年に2 回のシンポジウムということでこの場に参りました。渡邉さんを始めとして釜ヶ崎支援機構の福祉部門の方とか島先生とかさまざまな方の支援、ご協力をいただきまして釜ヶ崎の実状を一人ひとりの方々に紹介していくという地道な活動をこれからもしていきたいと思います。釜ヶ崎講座ということで現地ツアーということで釜ヶ崎現地の夏祭り、署名などのお手伝い、そして会員の方をツアーというころで現地を回って実状を見ていただくことなどを毎年やっています。今日はよろしくお願いします。

白波瀬 達也(西成市民館職員):
西成市民館といってここのすぐ近くにあるのですが、そちらで職員をしております。西成市民館は施設としては非常に古くて1960年代の中ごろに出来たんですが、約 40 年間大阪市の管理でやっていました。しかし昨年の4月から指定管理者制度として民間委託という形で社会福祉法人の石井記念愛染園というところが委託して事業を運営するようになりました。そういった意味では新しい職場でありまして、機能としましては場所貸しや、会議室や大きいホールのようなものをお貸しするというような役割と相談事業もやっております。なんでもやる職場でホームレスの相談から居宅生活になった人の相談まで、そういった相談をいろんな関係機関に振り分けて解決を図るとそういった仕事をしています。今回は他地域から来られてそれぞれの実践の話をされるということで、西成が抱えている問題を他地域ではどうやって解決しているかを勉強させていただきたいと思っています。

尾松 郷子(NPO 釜ヶ崎支援機構):
うちは相談部門ですが、皆さんの地域とだいぶ違うのは相談者の数がアホほど多いということです。地域の相談で、スタッフ3 人プラス非常勤の私で年間600 人くらい。延べの相談者の数は1 万人くらいととても捌ける数じゃないと。なおかつ最近の傾向としては知的障害の方やアルコールの問題の方や若年者の数も増えてきて問題が複雑化してきているところです。なおかつ出口もないし、使える社会資源もないしで困って、毎日困って生活を支援ができないなという状態です。今日は他地域の方も来ているので勉強させていただきたいと思っています。

狭間 妙里(NPO 法人バリアフリーサービスつばさ):
釜ヶ崎地域に集中する高齢者介護に取り組んでいる団体です。活動の目的のひとつは介護保険制度を活用して就労の場を作り出すことで設立5 年目になりますけども、元ホームレスの方の就労に関しては現状4 名就労できているという現実に過ぎません。6 年かかって4 名。「何をしているんや」という感じですけども、ここ釜ヶ崎は医療、福祉の問題よりも解決できないことがたくさんありまして、日々やりきれない思いを抱えまして走り回っているのが現状です。皆さんのご助言よろしくお願いします。

川浪 剛(NPO 法人オイコス堺):
今年の 1 月から堺市に新築のマンションを建てまして、19 室のうちの 10 室では、大阪府が作りました自立支援センター大泉から出てこられた方を受け入れて、その人たちの生活をサポートするというところなんですけど、なかなかたいへんな状況にありまして、今日来ていただいた皆さんのお話から何か学ぼうと思っています。

織田 隆之(全国行脚の会、救護施設今池平和寮):
今日は後のほうで全国行脚の会で司会をしますが、救護施設とは別の釜ヶ崎再生フォーラムで全国の皆さんとお知り合いにならせていただいて、そしていろんなことをお手伝いさせていただきながら、日々業務に励んでおります。よろしくお願いいたします。

まとめの討論

渡邉 充春 (歯科保健研究会):
昨日も自己紹介の中で述べましたが、先ほど売っていますシェルターレスの最新号に well being 福岡にあります歯科医師の集団の福岡におけるホームレスの健康調査、これは昨年の 3 月に行われましたが、その結果が載っておりますので是非見てください。その well being さんと新宿連絡会の医療班と私たち歯科保健研究会がおととしの 10 月に福岡で福岡すまいの会の和田さんのコーディネートでホームレス野宿生活者の方のお口の中の健康回復から野宿からの脱却をということで、今の歯科の医療の壁を、相談とそういう形のかかわりの中でなんとかアプローチできないかという集まりをようやく持てるようになっています。その上でこの連休明けにこの 3 者で歯科医療について各ホームレス支援団体の方がどのような対策をとっているのかの実態的な調査のアンケートをお配りします。ここのなかで浮き彫りにされた問題点を抽出して、いわば要求なり、具体的な改善の方法を絞りきっていきたいと思います。2 月の院内集会と厚労省の交渉の時に、今回の 9 項目の基本的なことの中に医療単給の弾力的な運用をと掲げていただき、それを私のほうで質問したんですが、厚労省はいとも簡単に医療単給は出しませんと言い切ったわけですけども、それはもう一方で具体的なデータと私たち自身の工夫と横の繋がりからぶつけていくしか突破口はないだろうということで、歯科のほうでは具体的に調査をし、それを具体的な成果としてあげてぶつけていきたいと思っています。それからウチの研究会ははやってなくて申し訳ないんですが、ネットとして現在されている各団体のアンケート調査の中にも医療に対するアクセスという項目があります。町田さんにも相談したんですが、その医療へのアクセスを出来たら、普通の一般の医療へのアクセスと、生死に対する緊急のアクセス、それからアルコール依存症に対するアクセス、それと歯科のアクセス。これの 4 つくらいに分けて書いていただくと医療へのアクセスから全国がどういう状態にあるのか浮き彫りにされるんじゃないかと考えています。やはりそこの中で医療についての全国的な野宿生活者に対する支援のあり方というのは 3 年前に 10 都市の医療、保険に対する現状について黒田先生や保坂先生を中心にした研究会ということで 10 都市の実状というのは書かれていたわけですけど、それ以降はありませんで是非それをまとめて、結局は医療単給を引き出さないと、無料、無定を活用できているところ以外は医療単給しか術は無いと思いますので、この壁を是非突破しないといけないと思いますので、是非アンケートで実態を突きつけながら、一方でそれに関するかかわりの医療従事者と支援の横の繋がりを深めてこの壁を突破していきたいと考えていますので、その辺今年よろしくと考えているんです。

矢島 祥子 (黒川診療所):
あまり発言できるほど活動できていないのであれなんですけど、私も週に 1 回夜回りには参加しているんですけど、今の医療へのアクセスへの壁ということがあって路上で体調が悪い方に対しても、なかなかこの地域では社会医療センターっていう受診できる医療機関があるにもかかわらずそこにもかかれない心境であるとか、状況にある方がたくさんいて、そこでもう少しいろんな機関で医療単給が出て、選択肢が広がらないものかと日々思っています。あとは医療単給が出たとしても、路上生活者の多くの方は入院するほどでもない慢性疾患を抱えている方
がほとんどで、それが病院にかかる時は脳梗塞、脳溢血、心筋梗塞なりで元気に過ごすことの出来ない状況になって初めて医療にかかるという状況でして、実感するのは私が病院に勤めていた時には、悪性腫瘍の方はよく見るんですけど、この地で見るほとんどの方は脳血管障害とか、慢性疾患から起こってくる重篤な状況なんですね。この環境がどうにかならないかと思うんですけど、それは日々考えていて、皆さんにも考えていただけたらと思います。

松繁 逸夫 (釜ヶ崎資料センター):
初日の時に奥田さんからもありましたように、110 番発信に対する対応がありました。最近では埼玉のほうの110 番通報に対して1 度接触して、地元の民生委員さんを訪ねてみたりしたけど、その後またしばらくあって連絡があった。今回はまだ確認してませんけど、弁護士さんのほうからお手紙があったと。かっちりと押さえていかなくても機能していくということが出始めてると思うんです。もちろん弁護士さんのほうにも生保の援助が出るような制度が出来たのもあるんですけど。小林さんがおっしゃたように商品の流通ももちろんやってお金をもうけましょう。もうひとつは情報の流通もやって助けましょう。要するに刑余者の刑務所から出て野宿者になる前にフォローすると同様に、まだこちらの網にかかっていない野宿の一歩手前の人が全国ネットの連絡先を見て SOS を発した。私は野宿したくない、なんとかなりませんかという情報が来た時に、これをフォローできるような体制を全国的にできないだろうか。せっかく全国ネットと要っているんですから、皆さんと相談して。しかしそんなん言われてウチとこの近所の人が、うちとこを知らないからって言って全国ネットから言われても、ウチとこもいっぱいで現に野宿している人がいっぱいいてそこまで手が回らないっていうような話もあるかもしれませんけども。あるいは今は埼玉の人も弁護士さんが関わって生保が出たけども、そのあとのフォローはどこがやってくれるのか、弁護士さんは忙しいし、そういう時にはどういう風なフォローの形を作っていけたらいいのか。せっかくの全国ネットですから、事業としておいおい施策としていければなと。

  • 2009年10月17日
大阪日日新聞掲載
元ホームレスの社会復帰支援 堺市のNPO法人

 ホームレスの公的自立支援では、一度就職した人の離職や野宿への逆戻りが課題。その中で、社会復帰への“ワンクッション”となる特定非営利活動法人(NPO法人)「オイコス」=堺市堺区=の取り組みが就労継続に成果を挙げている。期限付きで低額の住居を提供。人や社会とのつながりを支援するなどし、1年半余りで野宿に戻った人はゼロ。ただ、資金繰りに苦心し、協力を呼び掛けている。

マンションの一室で、元野宿生活者と地域住民が一緒に講習を受けるパソコン教室
「気持ちが楽」

 住宅や工場が密集する同区南端で、2008年1月から入居が始まった4階建て新築マンション。集会スペースで週4回開かれるパソコン教室には地域住民と元ホームレスの入居者が机を並べる。

 談笑しながらパソコンに向かう近所の主婦(44)は「最初は子供に危険はないか心配したが、顔を合わせるうちに自然に受け入れられるようになった」とほほ笑む。

 マンションは同法人が運営。堺市内の野宿者自立支援センターを経て就労した人を対象に、19部屋中10部屋を確保。バストイレ付、冷暖房完備の6畳の個室で、家賃は最初の半年が月1万5千円、次の半年を月2万5千円で提供し、その間に生活環境を整えてもらう。

 また、集会スペースを地域に無料開放。入居者と地域住民との交流を促す。05年の計画立案以降、地域の反発もあり、偏見を解くための窓口にするとともに、元野宿者に新たな人間関係を築いてもらうのが狙いだ。

 「あいさつするようになって気持ちが楽になった」と言う入居者の男性(61)。「最初はじろじろ見られて腹が立った」が、少しずつ住民らと言葉を交わすようになり、今では自治会の班長を務める。

離職率が課題

 全国一ホームレスが多い大阪市では08年度、自立支援センター全5施設で216人が就労して退所し、年度末に就労継続を確認できたのは131人。堺市の全1施設では、同年度の就労自立者が39人で、翌年7月に継続が分かったのは24人だった。

 連絡が取れない人もいるため、必ずしも離職したとは限らないが「離職率を抑えることが課題」(大阪市担当者)だ。

 そんな中、オイコスでは今まで入居した平均年齢47歳の18人のうち、病人や生活保護受給者を除く全員が就労を継続している。

 元日雇い労働者で野宿者の実態にも詳しい福森隆事務局員(61)が住み込みで常駐。「就職できても借金、持病など個人で抱え込んだ問題は簡単に解決しない」と、深夜でも入居者の相談に乗り、必要な場合は適切な機関に同行してつなぐ。

 月数十回の催しも企画。ここで築いた信頼関係をもとに退所後も連絡を取り、就労継続に一役買う。同法人メンバーに医師や弁護士がいるのも強みだ。

 同法人理事長の黒川渡医師(54)は事業について「人はお互いに助け合いながら生きていることを見直す作業でもある」と話す。

支え合いを

 課題は資金運営。現在、3年間限定の府の助成はあるものの経営は赤字続き。市民らに寄付を募っている。

 福森事務局員は言う。「ちょっとしたことで人生の歯車が狂い、家族への負い目を感じながら路上生活を送る人は多い。その状態から抜け出すには大きなエネルギーがいる。みんなで支え合って生きていきませんか」

  • 時期不明
病院の事務長らに恫喝されていた。

事件経過

  • 2009年11月13日 
22時頃、旧知の来客とくろかわ診療所内で30分程雑談。その後来客と別れ診療所で残業(これが最後の目撃情報。23時過ぎ約30分間カードキーによる出入記録あり)。

  • 2009年11月14日 深夜、診療所内のパソコンに矢島医師の患者カルテをバックアップした記録あり。4時15分頃診療所を出た記録あり(この時ALSOK警報システム作動。30分後警備員到着、異常なし判定。その後矢島医師の携帯電話から知人にメール送信があったらしが家族は未確認。出勤して来ないためスタッフが矢島医師の部屋を訪問。部屋は無施錠だった)。
  • 2009年11月15日 
朝、西成警察署でスタッフが矢島医師の捜索依頼をするが受理されず。10時20分頃黒川所長より群馬の家族に連絡がある。家族が高崎警察署に捜索願提出。矢島医師の部屋から自宅・診療所出入り口・机・ロッカー等の鍵をまとめた束が発見される。

  • 2009年11月16日 
1時20分頃木津川の千本松渡船場で釣り人が遺体発見。

遺体の状況
首の両側に線状の圧迫痕、後頭部から頭頂部にかけてのこぶ及び傷、それ以外の身体にも数カ所の傷。頭部こぶ及びその他の傷について警察は矢島医師の死から4ヶ月後に生活反応ありと認めた。

事件後の経過

2009年

  • 2009年11月17日
矢島医師による日付、自宅住所、署名のないメッセージのみの絵葉書(14日消印)がA氏の元に届く。

2010年

  • 2010年8月16日毎日放送VOICE

  • 2010年8月21日TBS報道特集

  • 2010年9月2日テレビ朝日スーパーJチャンネル


  • 2010年9月14日共同通信

  • 2010年9月25日TBS報道特集

  • 2010年10月5日朝日新聞

  • 2010年10月26日フジテレビ

  • 2010年11月8日テレビ朝日

  • 2010年11月23日テレビ朝日

  • 2010年11月29日テレビ朝日

  • 2010年12月1日 西成署の捜査説明
1.祥子さんの足取りに関して、今迄調査した防犯カメラの記録が報告されました。勤務先近隣の防犯カメラ。診療所を出たと思われる短時間以内には映っていない。住まい近隣の防犯カメラ。隣のマンションと斜め前のコンビニの防犯カメラは、管理者のミスで録画されていなかった。防犯カメラについての双方の報告は遺族の調査結果と異なる。

2.自宅に帰った足取りが確認されていない状況で、下宿が異様なまでにきれいに掃除されていた事を遺体発見日(16日)に遺族は確認してビデオ撮影。

3.本人・第三者を含め、指紋が確認できなかった。失踪直後から捜索願が出されてからも警察や勤務先職員が訪室しているが、施錠しないまま丸2日間近く放置されていた。(今は公表できないその他状況もあり、遺族は、「自宅に戻っていない」と認識している。)西成署は其の点について解答しない。

4.診療所の防犯システムについて。祥子のシステムカードにより退出した際に警報が発動され、33分間解除されなかった。(通常誤作動であれば、本人からの誤操作報告をすればシステムは復旧するので緊急出動はない。今回は緊急出動した。)このようなことは過去に例が無い事であり、遺族は、ここから、事件が始まったと考えている。

5.自転車発見現場近くの木津川縁から、潮流・天候にあわせて、祥子さんの身体状況に合わせたダミーを流して実験したが、2~3時間で発見現場から更に下流の河口付近まで流れてしまった。

6.遺族は、剖検医師との面談を要請したが、西成署がそれを認めないため、遺族が元東京都監察医務院所長・上野正彦先生に相談した結果を12月1日の面会以前に提出、面会時に改めて剖検医師との面談を要請したが回答は得られなかった。→死亡推定結果について疑問がある。水泳ができる人は、自殺するためには石などの重りをつけないと溺水死は出来ない。祥子さんは水泳が得意であった。遺体に重いし等は付けていなかった。肺から空気が完全に抜けていなかった。

7.絵はがきをもらったと言う男性が「自死した」とテレビ等で公言しているただ一人の人間である件について。この人間の主張に根拠が明らかでないにも拘らず、詳しい捜査・捜査報告がなされていない。しかも、このハガキを根拠に警察は“自死”と決め付けた。

8.PHS 最終受信アンテナについて。
11月15日捜索願と同時に、PHS受信アンテナ位置確認機能による、捜査願いを提出した。15日14時過ぎまで、コール音が鳴っていたことを、家族も西成署捜査関係者も確認している。遺体と共に発見されたPHSの捜査は早期から復旧解析中と報告された。しかし、居場所最終確認アンテナすら報告がない。もちろん受信記録の報告もない。今後、この件についての捜査報告を求めていく。
※7

  • 2010年12月22日 捜査経過報告
1.遺体の近くに浮いていた靴のDNA鑑定結果について 
靴から微量の皮膚片2ヶが検出されましたが、DNA判定できず祥子のものと断定できませんでした。また、付着していた砂の分析を試みましたが、有力な情報は得られませんでした。ただ、靴の分析の結果、祥子の物であると断定できませんでしたが、警察は、流れのある川で遺体近くに浮いていたことや、祥子の靴下に残されていた靴の跡などから祥子の所有物である可能性は高いとの見解を示しました。

2.くろかわ診療所の捜査結果について 
11月14日未明、診療所のセキュリティーシステムが発動(警報)した際、祥子は、警備会社に連絡すれば警報を解除できることを知っていたにもかかわらず、そのまま放置されていたこと。そして、同日午前中に祥子の行方不明が確認され、16日に遺体で発見されたことから、この場所で何らかの事件に巻き込まれた可能性が非常に高いとして捜査を要請し続けた結果、死後約1年が経過した2010年10月11日に、くろかわ診療所内の捜査(任意)が行われました。捜査の目的は「事件の痕跡が残されてるかもしれないから」とのことでしたが、結果、事件に関係する新事実は何も発見されませんでした。私たちは、この捜査結果以前に、1年以上も捜査されなかったこと自体に強い疑問と不信を感じております。

3.祥子さんの最終の居場所について 
警察は、祥子さんはくろかわ診療所を出た後、自宅アパートから失踪したと説明しました。私たちは、前項のとおり、くろかわ診療所のセキュリティーシステムが発動した時、祥子さんが警報を解除できない状態(拉致等)であったか、もしくは事件関係者が発動させたまま逃走した可能性も否めないため、くろかわ診療所で事件に巻き込まれた可能性が高いと主張しましたが、警察は「警報を解除しなかったのは祥子さんが混乱していたからででしょう」と説明しました。しかし、その状態がいつから発生し、具体的にどのようであったかについては全く説明されません。この点を次回明らかにして頂きます。祥子さんの最終の居場所については、私たちは、くろかわ診療所である可能性が高いと考えておりますので、これから更に検討して反論してゆきます。

4.死因と死亡推定時刻について 
今まで警察は、死亡推定時刻を、死体検案書の2009年11月14日午前と示しただけで、検死結果や鑑定書、そして捜査から祥子さんの死亡推定の変更については一切説明してきませんでした。私たちが、警察の立会いのものと、剖検医師に会って更なる説明を受けたいと申し入れても、鑑定書があるからその必要は無いと、要望を受け入れてもらえませんでした。

2011年

  • 2011年2月25日衆議院予算委員会第三分科会
中島政希衆議院議員質問要約

中島政希衆議院議員「群馬県高崎市の病院の跡継ぎであった女医さんが大阪市西成区あいりん地区のくろかわ診療所というところに飛び込んで医療活動を続けていた。ところが平成21年11月16日に水死体となって発見された。警察は自殺だと言ったが彼女が自殺するような理由はない。矢島さんも大変な決意で日雇い労働者が集まっている大変な地区に医療活動のためにボランティアで入られた。自殺するような理由はないし直前まで元気に活動していた。遺族や彼女に世話になった人達が自殺ではない、本当の死因をちゃんと捜査してくれと度々主張している。これはテレビの報道番組でも特集になったりして群馬県では大変良く知られている事件である。警察庁に聞くが、この事件の対応はどうなっているか」。

金高雅仁警察庁刑事局長「大阪府警では当初から犯罪の疑いありということで遺体の司法解剖をしている他、関係各所の鑑識活動、関係者の事情聴取などを続けている。現在も関係者の事情聴取などの所要の捜査を継続している」。

中島政希衆議院議員「今、事件として再調査しているという認識で良いのか」。

金高雅仁警察庁刑事局長「これまでの捜査からは必ずしも犯罪であるということを明確に断定できる状況は出て来ていない。事件事故両方の観点から捜査を尽くしている」。

中島政希衆議院議員「矢島祥子さんは大変立派な決意でボランティア的にあいりん地区の医療活動に従事していて自殺するような方ではない。お父さんに送った手紙の一節を読みます。私自身がこれまで生きてきた道のりよりはるかに厳しい状況の中を生き抜いてきた人達、なのに世間からはごみのように扱われているこの人達、私はこの人達のそばで仕事をしていきたいと本気で思っている、という手紙をお父さんに送っている。大病院を継げば安泰な生活が送れたにも関わらず、こういう困難な道に飛び込まれていかれた。自殺など考えられない使命感にあふれた方であった。遺族の無念の気持ち、彼女に世話になったみなさんの気持ちを考えるとしっかり捜査をしてもらって真意を明らかにしてもらいたい」。

  • 2011年4月21日テレビ朝日

  • 2011年11月10日テレビ朝日

我々は大阪西成区のある場所で鍵を握ると思われる人物を待っていた。
「あっ来た、来た、来た。今交際をしていたという風に自分で言っている男性がですね、自転車に乗って来ました。えー頭にタオルを巻いた怖そうな男性なんですが。えー彼は祥子先生が自殺をしたという風に言っていまして、家族は自殺ではなく他殺だという風に話をしています」。
自転車の男性A氏と祥子さんの両親がこの日会うことになっていた。祥子さんは自殺だと主張するA氏と他殺だと訴え続けている祥子さんの両親が対面するのはおよそ2年振り。果たしてこの後どんな会話が。

西成区あいりん地区の人々から西成のマザーテレサと慕われていた医師の矢島祥子さん、当時34才。
「何かね話して欲しいということで一言、カメラに一言」。
これは2年前の8月、あいりん地区夏祭りの映像。誰にでも分け隔てなく笑顔で接していた祥子さんは多くの路上生活者たちに生きる勇気と希望を与えていた。
「私の一番大切な人は患者さんと言ってた」。
しかしこれが撮影された3ヶ月後の2009年11月16日祥子さんは西成区を流れる木津川から水死体で発見されたのである。大阪府警西成警察署は当初祥子さんの死を自殺として処理。しかし自殺にしては数々の不審な点が。謎の死からまもなく2年。祥子さんの家族は自宅のある群馬県高崎市から大阪の西成へ毎週のように足を運び、祥子さんの死は自殺ではないと訴え続けてきた。そしてついに今年6月17日西成警察署は祥子さんの死を事件として正式に捜査すると発表、ようやく動き出したのである。それを受け両親は決断する。自ら祥子さんと交際していたと主張するA氏と会い直接疑問をぶつけることに。なぜ遺体発見直後から自殺だと言い続けているのか。するとA氏は祥子さんの両親に。
「他殺という形で追いかけたって犯人は捕まんないよと」。

更に今回我々は祥子さんの死の直前最も身近にいた人物に初めて接触。その人物は祥子さんの死後自らも身の危険を感じ大阪から逃れていた。
これまで沈黙を続けてきた人物がようやく開いたその重い口。
「見ちゃいけないものを見てしまって、どこかに連れさられたんじゃないかと」。
更に祥子さんは何者かに殺されたのではと訴えた。
「だからあの街には近づきたくない」。
謎の死からまもなく2年、西成の34才女性医師不審死に新展開、果たして祥子さんの死の裏側で本当は何が起きていたのか。真実の行方を追った。

大阪市西成区あいりん地区、通称釜ヶ崎、多くの日雇い労働者が暮らしている。2年前この街で一人の女性が謎の死を遂げた。矢島祥子さん、当時34才。あいりん地区の診療所で働く医師だった。2009年11月13日の午後10時頃祥子さんは診療所で一人カルテの整理に追われていたという。そして翌午前4時16分診療所に警報が鳴り響く。警備システムが作動したのだ。30分後警備員が駆けつけたが祥子さんの姿はすでになかったのである。

それから二日後の午前1時、祥子さんは水死体で発見される。現場は診療所からおよそ2.5km離れた木津川の渡船場。更に普段乗っていた自転車が思わぬ場所で発見された。アパートや診療所そして遺体発見場所からも離れた場所。しかも警察への取材では祥子さんの自転車にはなぜか指紋がひとつも付いていなかったという。不可解な点はアパートの部屋にもあった。「ここを触ります。ほこりが全くないんです。これはちょっと気になります」。警察の現場検証で祥子さんの部屋からは、ほこりどころか祥子さん本人の指紋さえ見つからなかったのである。

「矢島祥子さんが木津川のここ千本松渡船場で水死体で発見されてからまもなく2年が経とうとしています。西成に住む路上生活者達のために医師として日々奔走していた彼女の身に一体何があったのか。残された遺族達は悲劇の日から毎日彼女の死の謎を問い続けているのです」。先週木曜日祥子さんの両親は鍵を握ると思われる人物と会い、ある疑問を正すため西成を訪れた。「交際をしていたというふうに言っている男性と話をするために祥子先生のご家族が指定場所に来ました」。5分後その人物が現れた。「来た来た来た。今交際をしていたというふうに自分で言っている男性がですね、自転車に乗って来ました。彼は祥子先生が自殺をしたというふうに言っていまして、家族と彼の言い分は違っているのでそのあたりが今日どういうふうに話し合われるのか」。

その人物は祥子さんと交際していたと主張するA氏。この日両親はA氏に直接尋ねようとしていた。なぜ自殺だと決めつけられるのか。それを聞くため祥子さんの両親は群馬県高崎市の自宅からやって来たのだった。そこは祥子さんが生前暮らしていたアパートの部屋。父、矢島祥吉さんと母の晶子さん、そして二人の兄がA氏と会う直前、家族会議をしていた。両親が初めてA氏と会ったのは祥子さんが遺体で発見された5日後だったという。

父は会った直後からA氏に不信感を抱いた。「我々として食事をしながらお話を始めたんだけどね。最初から何て言ったかというと元、私は赤軍派でしてっていう話なんですよ。最初からそんなあいさつする馬鹿はないだろうと思うわね」。

赤軍派は1970年代よど号ハイジャック事件、後にあさま山荘事件などを引き起こした極左過激派組織だが、A氏はかつてそのメンバーだったと自己紹介。さらにA氏はその時祥子さんから誕生日のプレゼントにもらったという品々を家族に返してよこしたというのだ。

「お誕生日にあげた小さい花束とCDを持って来た。これはもらったものですと言って」。「恋人としての誠実さというのが全く感じられないという一連というので、僕はこの人は恋人でないなっていうこと」。

実は我々も以前A氏を取材していた。その際A氏はこう述べていた。
「私はもう正直に言います。共産主義国の赤軍派でしたから。私ここに来る前に日本とパリを150回位往復する仕事をしていて」。

A氏はかつてフランスの会社を相手に貿易をしていたが、還暦を迎えたのを機に西成のあいりん地区に来たという。そして矢島祥子さんと出会い交際が始まったと我々に述べた。「私は彼女と知り合って彼女とそれこそ彼岸花を見に行ったり。若くないものですから付き合ってんだよとかね、そんなつまらない言い回しをする年でもないわけです」。

さらにA氏には祥子さんの死が自殺だとする根拠があるという。それがこの絵葉書だった。
「出会えたことを心から感謝しています。釜のおじさんたちのために元気で長生きしてください」。

消印は11月14日。投函されたのは西成郵便局管内。くしくも祥子さんの行方がわからなくなった日の消印である。A氏はこの絵葉書を祥子さんの遺書だと思っているという。

「なぜそう思ったか。元気で長生きしてくださいねなんていう文句はあまり使わない用語であるというのと同時に、葉書をもらったのは1回しかなかった、それ。自殺だったと思います」。

そしてこうも述べた。「この前も人殺しって言われましたよ」。「それを俺犯人じゃないよっていうつもりもないし?」。「つもりもない。そんなのは結局何をどうひっくりかえそうと彼女がこの世にいないということははっきりしているわけです」。

祥子さんは自殺したと主張するA氏。しかし祥子さんの両親には自殺とはとても考えられなかった。それには理由が。実は祥子さんの両親は医師で遺体の状況も詳しく見ていた。そして後頭部の高さおよそ3センチのこぶに注目。死の直前、何者かに殴られたのではないかと見ていた。さらに川での水死では起きにくいとされる死後硬直が見られたことから祥子さんは陸上で殺害された後、川に投げ込まれたのではないかと考えていた。これらが両親が祥子さんは殺されたと確信する根拠だった。そして我々にこう訴えた。

「真実は全く言ってない人だと」。

両親にはA氏が祥子さんの死の真相を知っているとしか思えなかった。

「だけどシロではないと」。

さらに今年6月17日西成警察署が祥子さんの死を事件として正式に捜査すると発表したことが両親の背中を押した。両親はA氏と会い祥子さんの死を自殺だと主張する真意を確かめようと決意したのだ。

「基本は今ね捜査に入っているわけ。自殺じゃないよと。事件だよと。そういう中であなたは何を思うのかということをやっぱり具体的にはちゃんと教えて欲しいと」。

果たしてA氏は何と述べるのか。我々は祥子さんの両親とともに約束した場所へと向かった。A氏を刺激したくないという両親の意向で我々は外で待つことに。そして2時間後。

「今、祥子先生と付き合っていたという男性とそして祥子先生のご両親が出てきました」。

果たしてA氏は両親に何と?

「自分がね、だから真実を求めていくというあれはないと。もう死んじゃったからって」。「恋人が死んでいるというのに真実を求めるというのはしないと」。「それは誰かを犯人に仕立てるっていうことだから嫌だ」。

真実を求める気はない。さらにA氏は例え犯人がいたとしても捕まらなくていいと述べたという。

「まあ真相は闇になってもいいんだと」。「彼は本質を何か知っているということですか」。「知っていることは知っている。だけど」

そしてA氏は別れ際、口にした言葉に両親は耳を疑った。

「他殺が壁にぶつかって闇になっちゃうと。他殺という形で人を追っかけても犯人は捕まらないよと」。

他殺で調べても犯人は捕まらない。A氏のこの言葉は一体何を意味するのか。さらに取材を続ける我々に別れたばかりの両親から急を告げる電話が。

2年前の11月16日、大阪市西成区を流れる木津川の渡船場で女性の遺体が発見された。あいりん地区の診療所で医師として働いていた矢島祥子さん、当時34才。その死には未だ数多くの謎が残されている。

祥子さんの両親と別れ西成で取材を続ける我々に突然急を告げる電話が入った。電話は両親から祥子さんの死の真相を知っていると思われる人物が見つかったという。それは当時祥子さんの最も身近にいた人物B氏。警察から事情を聞かれているが、祥子さんの死後自らも危険を感じたため大阪から逃れていた。我々はB氏の元へと向かった。B氏は今も身の危険に怯えていたが取材交渉の結果、絶対に特定されないようにする条件で取材に応じた。

B氏は祥子さんが遺体で見つかった時から自殺ではないと考えていたという。

「近くにいてやっぱりそれは自殺じゃないとずっと思っていました?」。「自殺するような人ではないから。途中でこう仕事を投げ出すような人でもないし、だからみんなを残して自分だけ自殺なんていうのは…」。

これまで2年間沈黙を守ってきたB氏がついに核心に触れる部分に語り始めた。

「どっかに連れ去られたんじゃないかと。見ちゃいけないものを見てしまって…」。

西成のマザーテレサと慕われていた医師矢島祥子さん、当時34才。生前、祥子さんの最も身近にいた人物B氏はおよそ2年間の沈黙を破り我々に語り始めた。そして祥子さんの死は自殺ではないと訴えた。その理由は。

「何かちょっと見てはいけないものを見てしまった可能性とか。色々あるじゃないですか」。「街の中でっていうことですか」。「街の中道端で」。

実は西成のあいりん地区には闇の社会があるとB氏はいう。B氏はボランティアで路上生活者の往診をしていた祥子さんがその途中で見てはいけない光景を目撃したのではないかというのだ。

「道で人が金を受け取っているんですよ。あれはチンピラが見張りをしているんだと」。「見張り?」。「見張り、賭場とか麻薬とかの」。

さらにB氏はこう語った。見てはいけない光景を目撃した祥子さんが何者かに拉致され殺害されたのではないか。そう考えるには訳が。実は祥子さんが遺体で見つかる2日前の2009年11月14日午前4時16分、祥子さんが勤務していた診療所の警備システムの警報が鳴っていた。

「見ちゃいけないものを見てしまって警報が鳴ってしまって。どっかに連れ去られたのじゃないかと。一人で拉致れないでしょうね。だからあの街には近付きたくない」。

その日診療所で何が起きていたのか。我々は祥子さんが働いていた診療所を訪ねた。

「ちょっとお話できないんです」。「先生に直接お話し伺うことはできないんですか?」。「今診察中ですし、ちょっとね、お答えできないということで」。

医師矢島祥子さんの死から間もなく2年。今も祥子さんの遺体が見つかった渡船場には日々花が手向けられている。

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  • 2011年11月16日フジテレビ

2012年

  • 2012年2月25日日刊サイゾー

  • 2012年8月6日 西成区花園北のアパート3階の佐藤豊さん付近から出火、佐藤さんが死亡。

  • 2012年8月23日朝日放送キャスト

  • 2012年8月23日フジテレビ

  • 2012年9月13日テレビ朝日

  • 2012年11月1日釜日労執行委員長が週刊金曜日編集長に抗議文

  • 2012年11月29日テレビ朝日

  • 2012年12月5日週刊金曜日

2013年

  • 2013年2月3日釜日労が週刊金曜日編集部に対する反撃を本格的に開始 Twitter

  • 2013年8月14日日刊ナックルズ

  • 2013年8月23日日刊ナックルズ

2013年8月25日
NPO釜ヶ崎でくろかわ診療所黒川医師が熱中症対策をアドバイス
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  • 2013年8月30日日刊ナックルズ

  • 2013年9月14日日刊ナックルズ

  • 2013年9月21日日刊ナックルズ

  • 2013年9月22日日刊ナックルズ

  • 2013年10月11日日刊ナックルズ

  • 2013年10月18日日刊ナックルズ

  • 2013年11月18日日刊ナックルズ

自称元交際相手A氏







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  • 最終更新:2017-10-11 10:40:20

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