資料-テレビ

毎日放送





関西テレビ


読売テレビ






朝日放送




テレビ朝日

  • 2006年4月25日『大谷昭宏が見た「大阪・あいりん地区の現実」』

  • 2006年7月28日『人生捨てたもんじゃない・あいりんのピアノマン・ホームレスから再起』



TBS


日本テレビ

  • 2005年6月13日『事務次官の休日~大阪・あいりん地区と異端の官僚』

  • 2010年4月5日『片道切符 最終地”あいりん”の冬』

NHK

  • 1964年『ある人生「良寛先生」』
39歳の本田良寛(よしひろ)さんは大阪西成区の通称「釜ケ崎」と呼ばれた地域のまんなかにある済生会今宮診療所の四代目所長。それまで短期間で入れ替わっていった医師たちと違い、親の代からの開業医院を閉じてまで腰を据えて低所得の労働者たちの医療に打ち込んだ。「ある時払いの催促なし」を実践して社会医療に立ち上がり、良寛(りょうかん)先生と親しまれた本田医師の生き方を追う。厳しい現実とほのぼのとした医師の人柄を描き出した、「ある人生」第一回放送の番組。

  • 1965年12月19日『ある人生 まかしとき』
1961年8月、「釜ヶ崎事件」と呼ばれる1万人規模の暴動が起こった大阪の西成区。その後労働対策の一環として作られた「西成労働福祉センター」で職業紹介部長をつとめる郡昇作さん(64歳)は毎日、大忙しである。朝6時から集まってくる業者と労働者の間を走り回り、1日に2000件もの仕事のあっせんをさばいていく。「働く人に悪人はいない」と信じて、釜ヶ崎の労働者たちを辛抱強く支援する郡さんの足跡と日常を描く。

  • 『わてら浪華の芸人や大阪 西成』
大阪府西成区には芸人横丁と呼ばれる長屋があり、この界わいにはかつて多くの芸人が暮らしていた。修行時代をここで過ごした平和ラッパさんと共に街を再び訪ねる。大阪の天王寺区は、かつて寄席や漫才の劇場が建ち、上方の芸能文化を支える地区であった。その隣、西成区には芸人横丁と呼ばれる長屋があり、昭和46年の新日本紀行の放送当時、この界わいには多くの芸人が暮らしていた。3代目平和ラッパさんもその1人。ラッパさんにとって、この街は今も修行時代の芸に対するひたむきな心を忘れないための大切な場所である。芸人横丁の街をラッパさんと共に訪ね歩き、浪華芸人の心を見つめる。

  • 1982年9月30日『帰りたいけど帰れない 釜ヶ崎の孤老たち』

  • 1990年12月13日『ドキュメンタリー '90 西成騒動の5日間』

  • 2008年10月 かんさい熱視線『貧困ビジネス~"格差社会"で何が~』





  • 最終更新:2013-09-14 07:50:59

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